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大阪地方裁判所 昭和55年(わ)2751号 判決

主文

被告人細井昭男を懲役一〇年に、被告人西原康之を懲役八年に処する。未決勾留日数中、被告人両名に対し、六〇〇日をそれぞれその刑に算入する。

訴訟費用中、証人浪花俊介に支給した分は被告人両名の連帯負担とする

理由

(罪となるべき事実)

一本件犯行に至るまでの経緯

被告人細井昭男は、昭和五一年ころから母親と共に呉服の行商を営み、京都、大阪、神戸方面の各得意先を回つて商いをし、その売上金はすべて母親に渡していたものであるが、昭和五三年ころから次第に自己の売上げが落ちこんできたにもかかわらず、母親に対しては商売が順調であるように装い、実際の売上額以上の金員を渡すために無理な借金を重ねた結果、その返済に窮し、昭和五五年三月ころに至り、強盗でもして金をつくるほかないと考えるようになつた。そして、同年五月下旬ころに至り、かねて取引先として顔見知りの大阪市○区△△△一丁目二一番三号所在の呉服店「×××」の経営者上野多津子(当時五四歳)が、同所で相当の資産を持つて一人暮らしをしていることを知つていたところにより、同女を襲つて金品を強取しようと決意し、高校時代からの友人である被告人西原康之を右犯行の仲間に誘い込もうと考え、まず、同被告人を引越しの手伝いに来てほしいと口実をもうけて、同月二六日夜、大阪府吹田市岸部北四丁目八の二所在の名神高速道路吹田サービスエリアまで呼び出し、次いで、翌二七日の夕方ころ、右上野方近くの大阪西区南堀江一丁目一三番所在堀江公園内において、同被告人に対し、「うちの嫁さんが上野に騙されて保証書に判を押さされ、二〇〇〇万円ほどの借金ができ、その取立が来て困つている。引越しの手伝いというのは嘘で、上野を脅かすために来てもらつた。不動産の権利証などを取つて金融屋に持ち込めば金ができるから、君にも分けてやる」などと、右上野を悪者に仕立てるなどして、言葉巧みに右犯行に誘い、更に、右犯行を隠す方法として、同女を寝袋に入れて運び出せば、後はやくざ風の男が同女を失踪したように見せかけてくれる手筈になつている旨虚偽の事実を話したところ、金欲しさに被告人西原も右犯行に加わることを承諾した。そこで、被告人両名は、右犯行を実行すべく、同日午後七時ころ右上野方へ赴いたが、店内が明るく、外からよく見えることなどから、その場は一旦犯行を断念し、翌日午前一一時ころには同店に来客の予定がないことを同女から聞き出したうえ、そのころ出直して来ることとし、前記サービスエリアに引き返した。そして、被告人細井は、更に、同夜同所に駐車した同被告人の普通貨物自動車日産ホーミー(以下ホーミーという)車内及び翌二八日朝、同所を出発して右上野方に赴く途中の右自動車内や大阪市内の喫茶店などにおいて、改めて被告人西原に対し、同女を襲う手筈や、同女を寝袋に入れ気絶させたら、同女をそのまま放置して一旦同女所有の普通乗用自動車日産ブルーバード(以下ブルーバードという)に乗り同女方を出て、奪つた権利証を被告人西原が金融屋へ持ち込んで換金し、右ブルーパードを被告人細井が解体屋へ渡すなどした後、午後九時ころ、再び被告人両名で同女方へ引き返し、右ホーミーに同女を乗せて右吹田サービスエリアまで運び、その後は被告人細井が依頼したやくざ風の男に同女を始末させて、その失踪を装う旨の犯行計画を話し、被告人西原もこれを了承した。

二本件犯行

かくして、被告人両名は共謀のうえ、同月二八日午前一一時一〇分ころ、右犯行に使用するための寝袋(昭和五五年押第五八五号の4)やポリプロピレン製のひも一巻などを携えて右上野方に赴き、同家店舗内において、同女に対し帯の販売を装いながらその隙を窺い、同女が被告人両名に背を向けるや、いきなり被告人西原が同女に飛びついて仰向けに押し倒し、その直後被告人細井が同店表出入口のシャッターを閉めたうえ、抵抗する同女に対し、こもごも「騒ぐと殺すぞ」「静かにせい。じつとしていたら殺さん」などと申し向け、同女の口の中にタオルを押し込み、その両手足を前記ひもで縛つたうえ、二人がかりで同女を同家奥八畳の間に運び込み、同所においてこもごも「海外へ飛ぶ。最低一〇〇〇万は要るので権利証を出せ」「書かんと殺すぞ」などと申し向けて筆談などで印鑑や預金通帳の所在を聞き出したうえ、その場で同女を前記寝袋に押し込み、その上から前記ひもで縛り、更に同女を二人がかりで同家風呂場内に運び入れ、同所において、同女を気絶させる目的で同家台所にあつたガラス製灰皿(同号の1)で同女の頭部をこもごも三回位ずつ殴打してその反抗を抑圧したうえ、同女所有の預金通帳三通(住友銀行心斎橋支店預金高七〇万〇九〇一円、大和銀行難波支店同五八万七五四一円、住友信託銀行同一万五三二二円)、郵便貯金通帳一通(貯金高三八万円)、大和銀行難波支店指定金銭信託証書一通(残高一六〇万五一八六円)、大阪銀行堀江支店定期預金証書一通(金額二〇万四四八〇円)、定額郵便貯金証書七通(金額合計四九〇万円)、指輪五個、ネックレス四個、サファイヤペンダント一個、腕時計一個(時価合計一六四万五〇〇〇円位相当)及び印鑑、不動産売渡証書一通などを強取したが、その際右暴行により、同女に対し加療約七三日間を要する頭部打撲挫傷の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(被告人両名について強盗傷人罪を認定した理由)

本件犯行について、検察官は、被告人両名は、被害者上野多津子(以下上野という)方風呂場(以下本件現場という)において、同女の頭部をこもごもガラス製灰皿で殴打した時点において、同女に対する殺意、少なくとも未必的殺意を有しており、かつ同所において同女を殺害することにつき共謀していたものであるから、被告人両名の犯行は強盗殺人未遂罪に該当する旨主張するが、当裁判所は、判示したとおり、被告人両名につき強盗傷人罪が成立するにとどまると考えるので以下その理由を述べる。

まず、被告人細井が犯行前に考えていた本件犯行計画の概略は、被告人西原と共に上野方に行き、同女をひもで縛り上げて用意した寝袋に入れ、権利証などを強取した後、一旦同女をその場に残したまま、同女所有のブルーバードで被告人西原と共に同女方を離れ、同車を解体屋に処分した後再び同女方へ戻り、次いで近くの駐車場に預けてある被告人細井のホーミーに寝袋に入れた同女を積み込んで運び出し、同女を始末して失踪したように装うものであつたことが証拠上認められる。

ところで、被告人細井は、上野の始末については、大阪市西成区に住む「ノンちやん」なる人物に依頼していた旨捜査段階、公判廷を通じ一貫して供述しているところ、その供述内容は、「ノンちやん」なる人物と知り合つた経緯にはじまり、同人と二人での行動内容、上野の始末や強取した宝石などの換金についての打ち合わせ状況に至るまでかなり具体的かつ詳細にわたつているのであるが、同被告人の右「ノンちやん」なる人物に関する供述部分は、以下の諸点を考慮すると、とうていそのままには信用し難い。すなわち、

(1)  同被告人の捜査段階及び公判廷における供述(公判調書中の供述部分も、以下便宜公判廷供述という)によると、「ノンちやん」なる人物は、本犯行の前々日である五月二六日たまたま路上で通りすがりに出会つた一面識もない人物であるというのであるが、同被告人自身も公判廷(第九回)で「ノンちやんの正体は分らず不安で、こわかつた」旨供述しているように、素姓も全く分らない人物に、知り合つて直後に強盗というような重大事件の犯行計画を打ち明け、現場に案内し、かつ上野の始末、賍品の換金まで依頼するというようなことは、極めて不自然であること、

(2)  同被告人の第一〇回公判廷供述によると、「五月二七日夜、吹田サービスエリアでノンちやんと会つて打ち合わせをした。西原には、右打ち合わせに出かける前にその旨告げ、帰つてからも今帰つたと告げている」旨供述しており、同被告人の検察官(昭和五五年六月一七日付)及び司法警察員(同月一四日付)に対する各供述調書にも右同旨の供述記載がみられるのであるが、被告人西原は、検察官に対する供述調書において、「細井がヤクザと連絡をとつているような様子は全然なかつた」(同月一六日付)、「五月二七日夜、吹田のサービスエリアで細井が一人でどこかへ出かけたようなことはない」(同年六月一八日付)旨供述していること、もつとも、同被告人の第一二回公判廷供述によると、「五月二七日夜、吹田サービスエリアに駐車中の車を出て、便所へ行つて二〇分位して車に帰つてきた際、車を出る前にまだ車内に居た細井が車の前まで帰つてきて立つているのに出会つた」旨供述している(第一四回公判廷では、便所の入口で細井と出会つたと供述している)のであるが、右公判廷供述は、その供述内容のあいまいさ及び同被告人の右捜査段階における供述に照らしてもそのままには信用し難いのみならず、同被告人は、右公判廷供述(第一二回)においても、「車の前で細井と出会つた際、細井は何も言つていなかつたように思う」旨供述していること、

(3)  被告人細井が言うように、「ノンちやん」なる人物に真実前記のような重要な役割りを依頼しているのであれば、犯行に先立ち、唯一人の実行共犯である被告人西原を同人に引き合わせて然るべきと思われるのに、引き合わせていないのみならず、同人が「ノンちやん」と名乗つていることすら同被告人には教えていないこと(被告人西原の検察官に対する同月一八日付供述調書及び第一四回公判廷供述)、

(4)  右吹田サービスエリアや犯行後落ち合う場所であつたとされる新大阪駅などは、いずれも西成区に住むノンちやんとの連絡場所、落ち合う場所としては、地理的に不自然と思われるのみならず、新大阪駅に落ち合うことを決めた経緯についても、被告人細井は、公判廷供述(第七回)では「ノンちやんが新大阪駅の方で宝石などを換金するところがあるからそこで待つておくと言い出した」旨供述しているのに対し、検察官に対する同月一七日付供述調書においては、「ノンちやんが、俺が宝石などを換金する役目を引き受けると言つたので、私は正午頃新大阪駅まで来てくれたら宝石などを渡すと話した」旨供述しており、右供述相互間に矛盾がみられること、

(5)  警察の捜査によつても、被告人細井が言う「ノンちやん」なる人物に該当する人物の実在することの確認は得られなかつたこと(証人平田勇治及び同浪花俊介の各公判廷供述)、

以上のとおり、被告人細井の「ノンちやん」なる人物に関する供述部分は措信し難く、他にその実在を窺うに足る資料がなく、結局、ノンちやんは、同被告人の創作した架空の人物と考えるほかない。

次に、それでは一体上野を始末するのは誰なのか、また、右「始末」の意味について被告人細井はどのように考えていたのかといつた点について考察するに、同被告人は、公判廷(第七回、第一〇回)においては、「始末の意味について深くは考えなかつたが、始末という言葉を聞いた時に、ひよつとしたら殺すという意味かなと感じた」旨供述するかと思えば、「今から考えるとそういうことで、当時はつきりとはそう思わなかつた」、「深くは考えなかつた」、「その意味は分らない」などとあいまいな供述を繰り返えしているのであるが、検察官に対しては、犯行の発覚を防ぐために上野を吹田のサービスエリアまで運んで殺すつもりであつた旨供述し(同月二〇日付供述調書)、始末をするということが殺害を意味するものであることを明確に認めているのみならず、公判廷(第八回、第一〇回)においても、「顔見知りということは、私の犯行がばれるということです。それでどうしようかと悩んでいたが、ノンちやんが上野を始末してくれるというので助かつた、問題が解決したということで、ほつとした」旨供述していること、一般に、重大犯罪を行う犯人が、その発覚を防ぐため、顔を知られている被害者を「始末」するという表現を使用する場合は、通常その被害者の殺害を意味するものと考えて然るべきところ、本件の場合においても、その発覚を防ぐ確実かつ現実的な方法としては、上野を殺害する以外に適当な方法は考え難いこと等を考え合わせると、被告人細井は、最終的には上野を何らかの手段で殺害する他ないと考えていたと認めざるをえない。そして、右殺害の実行者として予定されていた者を考えてみるに、それが被告人西原であることを窺うべき証拠は全く存しないこと、暴力団関係者とも認められない被告人細井が、しかく容易に殺害の実行者を見つけることは、まず不可能に近いと考えられること等に鑑みると、結局、被告人細井を除いて他に右実行者は考えられない。

更に、被告人西原については、同被告人の公判廷供述によれば、「五月二七日夜、吹田のサービスエリアへ帰つてからと思うが、細井から、『やくざか労働者のような男にあとのすべてを任せるようになつている』と聞いた。その意味は、多分二、三日の間上野の身柄をその人に預かつてもらつて、病院かどこかに隔離し、そのあと、また上野を家に戻すことだろうと思つていた」旨(第一二回)、「最終的に、被害者を殺してしまうんだというようなことは考えたことはなかつた」旨(第一三回)、「五月二七日夜だつたと思うが、細井から、『上野を病院に連れて行つて、記憶を失くさせる』という話を聞いた。自分としては、記憶を喪失させるということはできないが、病院に一時軟禁状態には出来ると思つていた」旨(第一四回)供述しているのである。しかし、被告人西原が同細井から聞いたという右話の内容自体あいまい、若しくは実現性に乏しいものであるうえ、右話の意味を何故右のように受け取つたのかという点も理解し難いこと、一方、被告人西原は、検察官に対しては「細井は上野と面識があり、私も二七日に上野と会つていたので、上野を生かしておけば犯行はすぐ発覚すると思つていた。細井は、初め、やくざに頼んで上野を失踪したように見せかけると話していたが、やくざと連絡をとつているようには見受けられず、細井のいうその男は架空の人物と思うようになつた。そこで、細井が上野を縛りあげてどこかへ連れて行つて殺すのだろうと思つた」旨供述していること(同年六月一七日付及び一八日付各供述調書)、被告人両名とも被害者に顔を知られている本件において、犯行の発覚を防ぐ確実かつ現実的な方法としては、上野を殺害する以外に適当な方法は考え難いこと等を考え合わせると、被告人西原の右公判廷供述は、そのままには信用し難く、結局、同被告人も、本件犯行前において、被告人細井が最終的には上野を殺害する意図であつたことを推察していたものと考えざるをえない。

以上の事実を前提に、次に、被告人両名が本件現場において灰皿で上野の頭部をこもごも殴打した際、右殴打により同女を殺害する意思を有していたか否かについて検討する。

まず、被告人細井について考察するに、なるほど同被告人の捜査官に対する各供述調書中には、右殺意につきいわゆる未必の故意を認めるような供述記載がある(検察官に対する同月二〇日付及び司法警察員に対する同月五日付、同月一五日付、同月一六日付、同月一九日付)。また、被告人らが上野の頭部を殴打するのに使用した兇器は、外径約15.5センチメートル、深さ約四センチメートル、重さ約五八〇グラムの硬質ガラス製灰皿で(大阪府警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員篠原忠彦作成の鑑定書)、その使用方法如何によつては、人の生命に危険を及ぼすに足るものであることは否定できない。しかしながら、(1) 被告人らは右のような灰皿の角などで合計六、七回上野の頭部を殴打し、同部位に判示のとおりの傷害を負わせてはいるものの、頭蓋骨には何ら損傷を与えていないこと(司法警察員作成の「強盗殺人未遂事件被害者の診断書と外傷部位について」と題する書面)、当時五四歳の初老の女性である上野が、緊張していたとはいえ、右殴打にもかかわらず、一時的にも失神したようなこともなく、当時の状況を比較的詳細に記憶していること、被告人らが立ち去るのを待つて、即刻自力で寝袋から脱出し、隣家に救助を求めていること(上野多津子の検察官に対する供述調書)などの事実に照らすと、被告人細井の前記各供述調書中、被告人両名が力一杯殴りつけた、あるいは生死の限界を考えずに殴りつけたとの供述記載部分は、そのまま信用するには躊躇を感ぜざるをえないこと、(2) 被告人細井は、右灰皿による殴打行為を終えた後においても、なお寝袋から上野が逃げだすかもしれないことを心配して、寝袋の上から縛つたひもの端を浴室内の水道の蛇口や浴室を出た所のタオル掛けなどに連結していること(同被告人の検察官に対する同月一七日付供述調書、司法警察員作成の同月一三日付実況見分調書)、(3) それ程厚手の生地ではないにしても、じかにではなく寝袋の上から殴打していること、(4) 上野を同女方で殺害しようと思えば、包丁も手近にあり、また、ひもで首を締めるなど、より確実で手つ取り早い方法があるのに、あえてこれらの方法をとつていないこと、(5) 犯行現場に被告人細井所有の寝袋や風呂敷を上野と共に置いたまま、被告人らは上野所有のブルーバードで同女方から立ち去つており、右は、同被告人が言う当初の計画路線に乗つた行動と言えること、(6) 後述するように、被告人西原の本件現場での殺意を自供した供述調書もにわかに信用し難いことなどを合わせ考慮すると、上野を気絶させておいてから後刻運び出すつもりであつたとの被告人細井の供述を、一顧だに値しないものとまでは言い難く、結局、同被告人が本件現場で上野を殺害する確定的故意あるいは未必的故意を有していたと認めるには、なお合理的な疑問があると言わざるをえない。

次に、被告人西原について検討するに、同被告人の捜査段階での供述調書中には、本件現場での殺意を認め、あるいはこれを推認させる供述記載が存するのである。

しかし、その各供述内容を見ると、同被告人の司法警察員に対する同年五月三〇日付供述調書には「本件犯行の前日である五月二七日夜、上野方を訪れるに先き立ち、堀江公園内で、上野との借金の話がうまくいかない場合は同女を殺害しようとの共謀が細井との間にあり、更に、同夜吹田のサービスエリアへ帰つてからも、細井から『明日は必ず殺るぜ』との話があつたので、殺る気で覚悟を決めた」旨、同じく司法巡査に対する同年六月六日付供述調書には「上野を殺そうと思つたのは、上野方に強盗に上り込んでからのことで、上野を殺してしまえば私達のことがばれなくてすむと思い、灰皿で殴つて殺そうと思つたところ、細井が風呂場へ連れて行こうと言つたので、風呂場へ運んで灰皿で殴つた」旨、同じく司法警察員に対する同月一三日付供述調書(検察官請求番号六六番のもの)には「上野方奥八畳位の間で、上野を寝袋に入れ、袋の上から縛つて放つておいたところ、上野が動かないので、死んでしまつていると違うかと思つていた時、細井が『風呂場へ運ぼう』と言つたので、風呂場に置いて殺してしまうと分り、これは計画が違う、ここまで殺つた以上、完全に殺してしまえと思つた」旨、同じく検察官に対する同月一六日付供述調書には「上野を身動きできないような状態にしたうえで、頭を何回も殴りつけたので、上野は死んだと思い、生きていてもそのままにしておけばいずれ死ぬだろうと思つた」旨、同じく検察官に対する同月一七日付、同月一八日付各供述調書には「細井は上野を縛り上げ、寝袋に入れてどこかへ連れて行つて殺害するのだろうと思つていたが、細井が上野を風呂場に運ぼうと言い出し、風呂場に運んでから灰皿で殴れと言つたので、計画が変わりその場で上野を殺害する気になつたのではないかと思い、二人でこもごも上野の頭部を灰皿で殴つた」旨の各記載に見られるとおり、各供述相互間には、殺意を生じた時期、場所、その経緯等につきかなり微妙な食い違いが見られるのである。そして、特に警察段階での供述調書の作成経過を見てみると、警察当局は、本件捜査開始の当初から、被害者と顔見知りの者による犯行であることを理由に、犯人は罪証隠滅のため被害者を殺害する意図であつたとの判断のもとに、本件を強盗殺人未遂事件として捜査する方針を固め、爾来一貫して右方針のもとに捜査が進められたことが明らかであるところ(証人平田勇治の当公判廷供述など)、被告人西原の供述調書には、「やる」という言葉を「する」という意味で用いている場合にも、「殺る」という字をあてていること、同被告人が本件現場での上野に対する殺意を初めて明白に自白したのは、同年六月六日夕方の山之上巡査によるわずか三〇分ないし一時間の取調べによつてであることが認められるところ(証人山之上隼人、同平田勇治の各当公判廷供述)、同日、右取調べに先き立つてなされた検察官の取調べにおいては、同被告人は何ら右のような自白をしていないのみか、かえつてこれを否認する趣旨の供述をしていること(検察官に対する同月六日付供述調書証人平田勇治の当公判廷供述)等が認められるほか、同被告人の前記捜査段階における各供述調書の内容、その変遷の状況等に照らすと、警察段階での同被告人の取調べは、その供述を本件現場での殺意を認める方向へ導くため、強制とまでは言えないにしても、相当強引になされた疑いは払拭しえず、ひいて、これがその後の同被告人の検察官の面前での右殺意に関する自白に影響を及ぼしていないとは言い難いこと等を考え合わせると、同被告人の捜査段階における各自供調書中本件現場での殺意を認める部分は、そのままには措信し難い。加えて、(1)前述した如く、被告人両名が上野の頭部を力一杯殴りつけたとは必ずしも認め難いこと、(2)被告人西原は、同細井に巧みに誘われて本件犯行に引きずり込まれたもので、上野の頭部を灰皿で殴りつけることも、本件現場に臨んでから被告人細井が発案し、同被告人が被告人西原に指示したものであることなど、同被告人には、自ら積極的に上野を殺害する意思があつたとまでは認め難いこと、(3)前記灰皿で頭部を殴打する行為も、その態様にもよるが、本件のように寝袋の上から合計六、七回程度殴打する行為は、被殴打者を気絶させるための手段として、その相当性の範囲を著しく逸脱する異常なものとまでは考えられないことなど、以上の諸点を総合勘案すると、被告人西原についても、本件現場での上野殺害の意思及びその共謀があつたと認めるには、なお合理的な疑いが残ると言わざるをえない。

以上のとおり、被告人らには本件現場での殺意は認められないものの、寝袋に入れた上野を同女方から運び出した後、いずれは同女を殺害する意図を被告人細井が有し、同西原もこれを知つていたことは前述したとおりであるから、本件犯行が、同女を気絶させてその金品を強取し、権利証等を換金し、しかる後、罪証隠滅のため同女のブルーバードを持ち出してスクラップにすると共に同女を運び出して殺害する旨の犯行計画に従い、その一環としてなされたものであるということはできる。してみれば、右殺害に至るまでの行為を一連の実行行為とみて、本件犯行をもつて、右殺害の実行の着手とみるべきではないかということが問題となる。しかしながら、本件は前述したように、午前一一時ころ上野を襲い、同女を寝袋に入れて犯行現場に残したまま一旦被告人両名が右現場を離れ、同日午後九時ころ、再び引き返して、寝袋に入れた同女を外に運び出し、その後に同女を殺害することが予定されていたものであるところ、同女を灰皿で殴打して気絶させてからこれを運び出すまでには、相当の時間的間隔があり、これだけの長時間の間には、たとえ同女が右殴打によつて気絶させられていたとしても、意識を回復して自ら脱出するなり、あるいは同女の知人もしくは顧客が同女方を訪れて異変に気付き、同女が救出されるに至る可能性は十分に存するということができるのみならず、同女を運び出した後、これを殺害する手段、方法について具体的な計画が立てられていたということも証拠上全く認めることができない。右のような事実関係のもとでは、上野に対する本件殴打行為が、その後に予定されていた同女の殺害という行為そのものに密接不可分に結びついていると評価するのは困難であり、未だ殺人の結果発生について直接的危険性ないしは現実的危険性のある行為とは認め難く、従つて、本件犯行をもつて、上野殺害の実行の着手とみることはできない。

以上の次第で、被告人両名が上野に対し殺意をもつて同女殺害の実行に着手したとの証明はないから、判示の如く認定した。

(法令の適用)

被告人両名の判示各所為は、いずれも刑法六〇条、二四〇条前段に該当するので、各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択して処断すべきところ、犯情をみるに、本件犯行は、被告人両名が金欲しさに、かねて被告人細井が取引先として出入りし、その内情に通じていた呉服店の一人暮しの女店主に狙いをつけ、あらかじめ寝袋やひもなどを用意して、周到な計画のもとに、白昼商用を装つて同女方を訪れ、隙を見て同女に襲いかかり、判示のような暴行、脅迫に及んだすえ、同女所有の貴金属や預金通帳など多数を強取したというものであつて、計画的で大胆、かつ悪質極まりない犯行であること、本件の被害額は合計一〇〇〇万円近くにものぼるうえ、被害者に対して加療七三日間を要する頭部打撲挫傷の重傷を負わせ、同女に与えた精神的打撃も少なからぬものがあるなど、結果も重大であること、被告人細井は、本件犯行の発覚を防ぐため、犯行後に被害者を殺害することを目論み、被告人西原においてもこれを察していたこと、被害者が被告人らの厳重処罰を求めており、示談も成立していないことなど被告人両名の刑事責任は重大であると言わざるをえないところ、被告人細井は、本件犯行を発意計画し、被告人西原を巧みに誘つて本件犯行の共犯者として引きずり込み、終始主導的役割を果たしたもので、その責任は特に重大であるが、他方、本件犯行がその直後に発覚したため、被告人両名は強取した預金通帳を利用して金銭を得ることができなかつたなど被害者の財産的な実害はそれほど大きくなかつたこと、前科前歴もなく、これまではまじめに働いてきており、その生活態度には問題がなかつたこと、家族や弁護人が示談をすべく一応の努力はしていること、その他被告人細井には妻と二人の幼い子供がいることなど有利な事情も存するので、これら一切の事情を考慮して右所定刑期の範囲内で同被告人を懲役一〇年に処し、次に、被告人西原は、被告人細井から本件犯行の誘いを受けるや、その結果の重大性に思いを致すこともなく、安易に承諾して同被告人に加担し、被害者に対する暴行、脅迫など、実行行為においても、被告人細井の指示に基くものとはいえ、積極的に、かつ重要な役割を演じていることなどその責任は、これまた重大であるが、他方、前述したように被害者の財産的実害はそれほど大きくなかつたこと、被告人細井から巧みに誘い込まれ、同被告人に利用された側面のあることも否定し難いこと、前科前歴がなくこれまでの生活に特に問題とすべき点はなかつたこと、家族や弁護人が被害者と示談すべく一応の努力をしていることなど有利な事情も存するので、これらを併せ考慮したうえ、右所定刑期の範囲内で被告人西原を懲役八年に処し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中被告人両名に対し六〇〇日をそれぞれの刑に算入し、訴訟費用のうち証人浪花俊介に支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条によりこれを被告人両名に連帯して負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(大野孝英 楢崎康英 河合健司)

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